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米米CLUB現在のメンバーは?初期メンバーとの違いについても!

90年代初期にドラマ『素顔のままで』の主題歌「君がいるだけで」が大ヒットし一躍国民的バンドとなった米米CLUB。

デビュー当初からライブを中心とした活動をし、エンターテイメント性が高く観客を巻き込む一流のステージングは当時“日本で最も楽しいライブ”と評されなかなかチケットが取れないバンドとしても有名でした。

米米CLUBは1997年に一度解散し2006年に再結成しましたが、構成メンバーは正規メンバーやサポートメンバー、ダンサーなどを含め一時は本人たちも何人いるのか分かっていないほど大所帯でした。

この記事では、そんな米米CLUBの現在のメンバーや初期メンバー、再結成前後のメンバーの違いについてなどをまとめてみました。

この記事でわかること

  • 米米CLUBの現在のメンバー
  • 米米CLUBの現在と初期メンバーの違い

米米CLUBの現在のメンバーは誰?

米米CLUBの現在のメンバーは次の9人です。

米米CLUB現在のメンバー

  • ジェームス小野田/小野田安秀(ボーカル)
  • カールスモーキー石井/石井竜也(ボーカル)
  • BON/大久保謙作(ベース、コーラス/リーダー)
  • フラッシュ金子/金子隆博(サックス、キーボード他/BIG HORNS BEE)
  • BE/林部直樹(ギター)
  • ジョプリン得能/得能律郎(ギター他)
  • RYO-J/坂口良治(ドラム)
  • MARI/天ヶ谷真利(ダンス、コーラス/SUE CREAM SUE)
  • MINAKO/金子美奈子(ダンス、コーラス/SUE CREAM SUE)

 

米米CLUBは専修学校時代の映画研究サークル「A-Ken」に所属していたジェームス小野田、カールスモーキー石井、BONらを中心に1982年に結成されました。

専修学校卒業後は就職するなどそれぞれの道に進んだジェームス小野田とBONですが、卒業後は街頭パフォーマンスをしていたカールスモーキー石井に「バンドをやろう」と半ば強引に誘われ渋々活動を開始したそうです。

 

当初はその場限りのおふざけのつもりで行ったライブが好評を得たため、その後もライブハウスなどで音楽活動を重ねていきます。

当時他にはなかった観客を楽しませることに特化したライブパフォーマンスやステージングに負けない音楽性のレベルの高さから米米CLUBはデビュー前から各メディアに取り上げられる存在になりました。

また80年から90年代はバンドブームで各レコード会社が競って新人バンドの発掘を行っていたという背景もあり、米米CLUBはいくつもの企業から声をかけられるなか満を持して1985年にデビューを果たします。

 

米米CLUBは結成当初から通常のバンド形態とは違っており、ダンサーチームのSUE CREAM SUE(シュークリームシュ)やホーン隊のBIG HORNS BEE(ビッグ・ホーンズ・ビー)などサポートメンバーを抱える大所帯バンドです。

サポート隊自体もメンバー交代を繰り返していますがSUE CREAM SUEのMARIとMINAKO、BIG HORNS BEEのフラッシュ金子は米米CLUBの正規メンバーとして初期から再結成後の現在も活躍しています。

 

ちなみにSUE CREAM SUEのMINAKOはカールスモーキー石井の実の妹で、更にフラッシュ金子と結婚しているためカールスモーキー石井とフラッシュ金子は義兄弟の関係です。

米米CLUB最大のヒットソング「君がいるだけで」は、2人の結婚を祝うために作られた曲としても知られています。

 

フラッシュ金子は本名・金子隆博としてNHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の音楽を担当していたのですが、ラジオから歌謡曲が流れるシーンで「君がいるだけで」が使用されたのは感慨深いものがありますよね。

米米CLUBの現在と初期メンバーの違いは!

米米CLUBは大所帯だったこともあり結成から解散に至るまで何人ものメンバーが参加や脱退をしてきましたが、フロントマンである主要な初期メンバーは現在もバンドに参加し一緒に活動をしています。

そのため正規メンバーの顔触れについては現在と初期メンバーで特筆するような大きな違いはありませんが、バンドの変革ともなったメンバーエピソードについていくつかご紹介したいと思います。

  • 米米CLUBメンバー変革① ギタリストcharとの出会い
  • 米米CLUBメンバー変革② 博多めぐみの起こした“とある事件“
  • 米米CLUBメンバー変革③ SUE CREAM SUEはトリオだった?
  • 米米CLUBメンバー変革④ 解散に繋がったメンバー2人の脱退
  • 米米CLUBメンバー変革⑤ 難病と向き合ったフラッシュ金子

米米CLUBメンバー変革① ギタリストcharとの出会い

米米CLUBのデビューお披露目ライブの直前、プロになるつもりがなかったというドラマーが脱退してしまいます。

せっかくデビューできるのにもったいないと思ってしまいますが、そのドラマーの代わりに急きょスタッフが連れてきた代役というのが今ではギタリストとして有名なcharさんでした。

以降、Charさんと米米CLUBは親密な関係となり、特にcharさんを兄のように慕っていた石井竜也さんは曲ができるたびにcharさんに聴いてもらうために家を訪ねたりしていたそうです。

そうした中のひとつである「浪漫飛行」は、charさんから曲間に「♪wow wow」を付け加えたほうが良いと提案されて採用したのだとか。

米米CLUBのヒット曲にcharさんのアイデアが盛り込まれていたというエピソードはちょっと驚きですよね。

 

更にcharさんは米米CLUBの再結成のきっかけにも一役買っています。

2005年、Charさんの50歳の誕生日パーティーを開くにあたり息子でありRIZEのメンバーとしても活躍しているJESSEさんが「サプライズで米米をやってほしい」と石井竜也さんやメンバーに頼んだのだそうです。

Charさんへの恩返しの意味も込めて一夜限りで久々に集まり演奏をしたメンバーですが、この後期間限定で復活しライブや音源発売などの活動を開始します。

それぞれがソロなどで活動する中、数年ぶりに皆で音楽を共にしたことでメンバーたちの中で何か芽生えたものがあったのかもしれませんね。

 

しかしこの限定期間で発売したシングルは全てオリコン10位以内を獲得し、ツアーチケットも全公演完売するなど大きな話題となります。

そうした反応に手ごたえを感じたメンバーは期間限定ではなく完全復活すると宣言、2006年の再結成に至ります。

 

デビューライブのサポートから再結成まで、大事な節目で関わってきたCharさんの存在は米米CLUBにとってもファンにとってもとても大きいですね。

米米CLUBメンバー変革② 博多めぐみの起こした“とある事件“

1988年に脱退したギタリストの博多めぐみこと本名・坂本琢司さんは、“とある事件”を起こしたことからバンドを抜けることになりました。

 

坂本琢司さんは個性の強いメンバーに負けじと自ら女装して女性ギタリストに扮し、博多人形のようなきれいな肌と麻丘めぐみさんが好きだったことから石井竜也さんに「博多めぐみ」と命名されます。

 

そんな坂本琢司さんはリーダー・BONが米米CLUB結成前に組んでいたアマチュアバンドのライブを見て感激しBONに直談判してバンドに参加、その後石井竜也さんらと新たに米米CLUBを結成します。

ところが坂本琢司さんが元々目指していた音楽は洋楽ロックスターだったため、パフォーマンス集団である米米CLUBとの音楽性のズレに悩んだ末ついに“とある事件”を起こしてしまいます。

このとき何があったのか、”とある事件”の詳細はいまだに坂本琢司さん自身からもメンバーの誰からも明かされていません

そのため「よほど表にはできないことをやってしまったのではないか」という憶測が流れていますが、真相は分かっていません。




米米CLUBメンバー変革③ SUE CREAM SUEはトリオだった?

米米CLUBのダンサーチームSUE CREAM SUEは、1984年にダンス&コーラスグループとして“サトミ”を入れた3人で結成されました。

米米CLUBのメジャーデビュー前から“with 。シュークリームシュ”としてサポートし、他のアーティストのライブなどでもコーラス&ダンサーとして参加し独自の活動をしていました。

1988年にサトミが結婚で脱退したためSUE CREAM SUE メンバーはMINAKOとMARIとなり、それを機に2人は米米CLUBの正規メンバーになります。

 

米米CLUB解散後はそれぞれソロ活動をしながらもSUE CREAM SUEとしてもイベント出演など活動を続けており、2017年には振付解説&エクササイズDVD「SHAKE HIP UP! エクササイズ!」が発売されています。

 

また、2011年からはMINAKOの夫でもあるフラッシュ金子がSUE CREAM SUEに加わる形で「シューク・フラッシュ!」というユニットを組み、結成直後からライブを中心に精力的に活動。

2018年以降は表立った活動がありませんが解散はしていないようです。

 

SUE CREAM SUEのMINAKOは昨年還暦を迎えていますがいくつになっても若々しく(MARIは生年月日非公表)、POPでキュートで遊び心に溢れた変わらぬスタイルで米米CLUBのステージを盛り上げる欠かせない存在になっています。

米米CLUBメンバー変革④ 解散に繋がったメンバー2人の脱退

米米CLUBの現メンバーであるギター・キーボードのジョプリン得能はBONやジェームス小野田、カールスモーキー石井らと同じ専修学校時代のサークル「A-Ken」の仲間です。

米米CLUB結成時からのメンバーですが1995年に一度脱退しています。

 

同じく現メンバーでドラムのRYO-Jは自身のバンド活動を経た後にドラマーとして多数のアーティストのレコーディングやライブのサポートをしていましたが、1985年に米米CLUBに参加。

しかし1995年、ジョプリン得能と同時に脱退しています。

 

この2人の脱退理由は当時の米米CLUBとの「音楽性の違い」です。

 

2人が抜けた二年後の1997年に米米CLUBは一度解散しますが、後にジェームス小野田が語った解散理由では2人の脱退が解散への始まりだったようなニュアンスが受け取れます。

 

米米CLUBは前述のとおり同じ専修学校の仲間で結成されました。

友人らと「面白いことをやろう」という感覚で曲作りを始め、当時そのライブスタイルから「コミックバンド」と言われても自分たちのやりたいことができてとにかく楽しかったそうです。

しかし曲がヒットし人気が出てプロデューサーがつくようになると、バンドに関わる人数や動くお金の額が膨大になり好きなことだけをやるわけにはいかなくなります。

更に「君がいるだけで」の大ヒットで知名度やファン層が一気に拡大し、米米CLUBの特徴であるコミカルさを封印し売り上げに繋がる一般受けする曲作りを要求されることが多くなったそうです。

 

そんな状態が数年続いた後、音楽性の違いから初期メンバーであるジョプリン得能とRYO-Jが脱退。

ジェームス小野田はこのとき「何かが違うな」と違和感を覚えたそうですが、葛藤を抱えながらも周囲の期待に応えるべくバンドの存続に努めます。

ですがその後はヒット曲に恵まれることもなくなり、メンバーで何度も話し合いを重ねた結果解散することになったそうです。

 

解散する前、脱退したメンバーがライブを見に来た際にジェームス小野田は「おれたちはこんなバンドにいたのか」と言われ「ショックだったけれど、やっぱりそうかという思いもあった」そうです。

後にBONが「やっぱり気持ちとかノリが合わないとバンドはできないですからね」と語っていますが、友達と楽しくやっていた音楽だったからこそ余計に周りに翻弄され方向性が見えなくなってしまったのかもしれませんね。

 

しかし2006年の再結成時には脱退したジョプリン得能とRYO-Jもメンバーに戻り、かつての仲間たちと一緒に活動しています。

脱退や解散の後それぞれの時間を過ごしたことで見方も変わり、当時のわだかまりも解けたのかもしれませんね。

米米CLUBメンバー変革⑤ 難病と向き合ったフラッシュ金子

米米CLUBのホーン隊BIG HORNS BEEのリーダーを務めるフラッシュ金子こと金子隆博さんは、2005年に「職業性ジストニア」という病に罹りました

そのため現在はサックス奏者としては休業という形を取り、キーボード奏者および作曲家やプロデューサーとして幅広く活動しています。

 

この「職業性ジストニア」とは、自身の意思に反して筋肉に収縮や硬直が起きる脳の病気で難病指定されています。

同じ姿勢を取り続ける職業に多く発症が見られるため演奏家や医師・作家などに多く、一定の姿勢をとると痙れんや震えが生じることから楽器の演奏ができなくなったり執筆ができなくなるそうです。

また一定の姿勢以外は支障がないため金子隆博さんもサックスの演奏はできないけれどキーボードを弾くことはでき、日常生活も問題なく過ごせています。

 

金子隆博さんは2005年の冬に発症しましたが、奇しくも2006年の米米CLUB再結成の話が決まった頃だっため大きな節目のときに「命より大切」なサックスを吹くことができない現実に深く悩んだそうです。

また、当時は病名が分からずいくつもの病院に通い原因究明と改善に向けて奔走しますが叶わず、数年後ようやく専門医に出会い「職業性ジストニア」と診断されました。

 

バンドメンバーの理解やサポートを受けた金子隆博さんは「一度きりの人生をこんな病に負けたくない」と奮い立ち、作曲家やプロデューサーとして人生を再出発させようと気持ちを切り替えたそうです。

また、担当する楽器をキーボードに変えるにあたりジャズやクラシックのピアノの先生について基礎をしっかり身に着ける努力もしたといいます。

 

以降、金子隆博さんは米米CLUBやBIG HORNS BEEの活動もしつつ、ソロでは平井堅さんや中島美嘉さん、ゴスペラーズらの演奏や作曲・音楽プロデュースも手掛けるなど多才な活躍ぶりを見せています。

 

ちなみにこの病気は、金子隆博さんが音楽を担当した朝ドラ『カムカムエヴリバディ』2代目ヒロイン・るいの夫であるジョーが患った病と同じです。

金子隆博さんはNHKの朝番組「あさイチ」にゲスト出演した際に、無職で働く様子がないジョーに対する視聴者の疑問の声に対し「ジョーを責めないで」と呼びかけ話題になりました。

金子隆博さんは診断が確定するまでに4年もかかり病名が分かったときは気持ちが楽になったそうですが、ジョーの時代にはもしかしたら病名が分からないままだったかもしれないと見解を語りました。

金子隆博さんは経験者だけに、突然人生の中心だった演奏家としての道を断たれ原因が分からないまま余生を過ごすジョーの辛さを感じたのかもしれませんね。

金子隆博さんと同じ状況に陥ったジョーの気持ちを慮った発言に、視聴者からは「実際に同じ病で苦しんだ人の言葉は重みがある」とのコメントが寄せられていました。

まとめ

米米CLUBの現在のメンバーや初期メンバー、再結成前後のメンバーの違いやエピソードについてまとめてみました。

メンバーの入れ替わりに伴うエピソードを見ることで、デビューから解散、再結成まで米米CLUBの歴史を垣間見ることができましたね。

正規メンバーに加え、ダンサーやサポーターなど大所帯であったからこそ余計に多くのストーリーが発生したのかもしれませんね。

ジェームス小野田さんが語った「自分たちのやりたいことができてとにかく楽しかった」という言葉が印象的ですが、バンドはメンバー全員の音楽性や方向性の一致が大切だということがよく分かりますよね。

これからも個々のソロ活動はしつつも、米米CLUBとしてファンも一緒に楽しめる活動を長く続けて欲しいですね。